研修医の暇つぶし

ここを心のキャンプ地とする

大人ってなんなんだ?

どうもひつまぶしです。

 

私ももう20歳を越えて世間的には大人といわれるくくりに入りました。とはいえ19歳と何が変わったかと言われれば何も変わっていないし、むしろ精神的には幼児化しているとも感じるんですよね...

どうしてこんなことを思ったかというと大学で様々な性格の人と交流を持ったからだと思います。高校の頃は気の合う友達とクラスの端でひっそり生活していたので何も思わなかったんですけど、大学に入るとそうもいかずグループや大人数の授業とかではいろんな人と交流を持つと感じることがあるわけです。

 

 

少し話が逸れますが”キングスマン”という映画を知っていますか?ざっくりいうと英国紳士が悪者を成敗するヒーローものです。その中の決め台詞に”礼節が人をつくる”というものがあります。私はこれに感銘を受けました。紳士的に生きよう、かっこよく生きようと心に決めました。(こういうところがまだ子供)

しかしそういう面持ちで暮らしていると人間の汚さというのがとても目立ってきてしまうのです。政権批判とかそんな大それたことではなく、些細なこと、授業が終わる時刻になったら先生が話途中でも帰り支度をする人、授業の代筆を頼んで遊びに行く人など大学生なら普通のことだと分かっていても軽蔑してしまいます。とはいえこのくらいのことでいちいち腹を立てていては紳士的とは程遠い、自分の正義を振りがざすクレーマーとさして変わらないなとはおもうんです。

そういう思考をグルグルしていると、じゃあ紳士的というのは多少の理不尽、不合理には目をつぶり自分の感情を殺して落ち着いて振舞うことなのか?と思えてきてしまう。そんなのが紳士的な大人だと思うと辛い...自分がかっこいいと感じていた大人は理不尽にただ耐えていただけだったのか...と絶望してしまうわけです。

しかもよくよく思い返して見ると私も私が軽蔑してしまうような言動をした事があるのです。もちろんその時は学校なんか早く終わらないかなって思っていたし、帰りたいと思ってのことでした。つまり昔の自分に対しても軽蔑しているわけですが、そうするともう何が正しくて何を信じて行けばいいかがわからなくなってきます。

考えるのが嫌になって、無理に紳士的に生きなくてもいいやとも思ったこともあるんですけど、これもまた難しい。昔から耐えることに慣れてくると上手く(色々な意味で)自分の欲望を発散できないんですよね。それで結局1番波風立たない風に立ち回るそうしてまた考えてしまうんです。

 

将来の私は自分に答えを持って暮らせているんでしょうか?これを見返した時には自信を持って暮らせているといいですね

 

ではまた